ゲームの楽しみ方 『副題:集団と個について』

 エンジョイ勢とガチ勢の話を以前に書きました。

 

好奇心の話、それとエンジョイ勢ガチ勢の話 - えびまよ式FPS講座と雑記

 

 今回はそれに通じるかもしれません。

 

 この記事は

「ゲームの楽しみ方ってなんでこうも違うのか」を自分なりに解釈した文と「集団について」というエッセイです。 

 

 今回も集団で遊ぶゲームをイメージしています。

 5vs5や、3vs3ということですね。

 

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 ゲームを楽しむ上でコミュニケーションは大切です。

 

 本来楽しいはずの試合も、最悪のコミュニケーションであればつまらなくなりますし、楽しくないはずの試合も最高のコミュニケーションであれば楽しくなります。

 

 ゲームの楽しさはコミュニケーションがすべてとも言えるかもしれません。

 そしてコミュニケーションの内容二種類に分かれます。

 

 A.ゲームのプレイ関与しているのか。

 B.ゲームのプレイに関与していないのか。

 

 Aについて

  上手ければ上手いほどに、楽しいコミュニケーションが取れる頻度が高いです。

  下手であればあるほどに、楽しくないコミュニケーションを取る頻度も高いです。

 

 つまり、ゲームのプレイに関与した会話をするときは、ゲームが上手いほうが楽しいんですよね。初級者がゲームについて語り合うのと上級者が語り合うのでは、おそらく後者の方が深く知的な好奇心を満たせるのです。

 

 

 Bについて

  これがゲームの楽しみ方の理解最も困難にさせている要因です。

  ゲームはもはや関係ありません。雑談でゲームを楽しんでいるわけです。

 

 そしてこれが上手な人――――つまり、ゲーム外の雑談が上手な人は初心者を楽しませることがとても得意です。なぜなら、ゲームのプレイングスキルが会話に影響を及ばせないから。

 初心者を楽しませるには「初心者にいいプレイをさせる、いいプレイと誤認させる」か「ゲーム外で楽しませる」しかないんじゃないかなって、思っています。

 

 

 ゲームを楽しむためにはまず上手くなること。そして会話が面白いこと、というわけです。現実は非情……。もちろん、ゲームそのものが好きというのが最強ですが。

 

 リアフレとゲームをするだけで楽しい理由は会話が楽しいからですね。

 

 

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 次にこちらを御覧ください。

 

①「チームは勝った。俺は負けた。楽しい」

②「チームは勝った。俺は負けた。つまらない」

③「チームは勝った。俺は勝った。楽しい」

④「チームは勝った。俺は勝った。つまらない」

 

⑤「チームは負けた。俺は負けた。楽しい」

⑥「チームは負けた。俺は負けた。つまらない」

⑦「チームは負けた。俺は勝った。楽しい」

⑧「チームは負けた。俺は勝った。つまらない」

 

 これを読解するとこうなります。

 

集団で楽しさを見出している。

で楽しさを見出している。

③おめでとう。

④そのゲームはやめよう。向いてない

 

ゲームそのものが好きですね。

⑥残念、次の試合。

で楽しさを見出している。

集団で楽しさを見出している。

 

 あなたの経験を思い出してください。

 あなたはどのようにゲームを楽しんでいますか。

 

 

 人によってゲームの楽しみ方はどうやら色々と違うようです。

 

 個で楽しさを見出している人の思考を、集団での楽しさを見出している人は理解できません。逆もまたしかり。

 片方の属性しか持っていない人――――つまり個や集団の片方でしか楽しめない人なんてものはそうそういるものではありませんが、片方の属性に強く寄っている人はそれなりにいると思っています。

 

 

 自分のプレイに不満足→チームが勝ったら満足。 →集団で楽しめる人。

 自分のプレイに不満足→チームが勝っても不満足。→個で楽しむ人。

 自分のプレイに満足→ チームが負けたら不満足 →集団で楽しむ人。

 自分のプレイに満足→ チームが負けても満足  →個で楽しむ人。

 

 

 あなたの記憶に残っているあなたは、そういう傾向の人で……。

 あなたの記憶に残っている他人は、そういう傾向の人なのです。

 

 

 

 あとは、おまけの話をします。ゲームそのものが好きな人についてですね。

 

 勝とうが負けようがゲームが楽しい人たちです。コミュニケーションが介在しなくても気にならない人たちも多く、良いコミュニケーションも悪いコミュニケーションもゲームを楽しむためのスパイス程度の存在でしょう。

 

 そんな彼らは個や集団というのをあまり気にしていない、と私は考えています。

 また、プロゲーマーになれるための素質の一つとも考えています。

 

 

 例えば縛りプレイをする人たちの存在です。対戦ゲームというのは弱キャラ、強キャラというのによく分かれがちです。弱武器、強武器というのもありますね。

 

 彼らが本当に個を重んじるのであれば弱キャラ、弱武器を使う必要性はありません自分が圧倒的に活躍をすることを重要視しているからです。

 また、本当に集団を重んじるのであれば弱キャラ、弱武器を使う必要性はありません集団に対して危害を及ぼす可能性があるからです。

 

 

 こちらも同じく、ゲームを愛しているけれど個や集団、コミュニケーションを気にしていない人なんてほぼいません。 

 なので実際には三つの要素が複雑に絡み合っているわけです。

 

 1.コミュニケーション

 2.個と集団への重き

 3.ゲームへの愛

 

 人によって、この三要素のどこに比重が分かれているのかが違うのです。

 あなたは、どこに比重を置いていますか? あなたの周囲の人たちは?

 

 

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 変わった人たちについて。

 

 ゲームを楽しむためにはまず上手くなること。そして会話が面白いことゲームそのものを好きになること

 この三種類が大切というのはコミュニケーションの話で致しました。また、さらに集団と個のどちらでゲームに楽しみを覚えるのか、ということも挙げました。

 

 

 それらのなかでも「上手くなること」というものだけはかなり特殊でして、上手くなっていると誤認しても楽しめるわけです。

 初心者に上手いプレイをしていると勘違いさせる行為と非常に似ています。

 

 

 現実を受け入れず(変わった人たちの中では現実を見ているつもりなのでしょうが自分がどんどん上手くなっていると勘違いをしていてもゲームは楽しめるのです。

 

 

 それがいわゆる、みなさんの苦手な「名人」「人のせい君」「ゲーム、運営が悪い君」ですね。

 彼らは彼らなりにゲームを楽しんでいるのだと思います。明らかにその人よりも上手な人が情報を伝えても受け入れない人たちは、かなり近い性質をしていますね。きっと。

 

 

 

「ゲームの楽しみ方がこうも違う理由の考察」が以上です。

 

 

 

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 副題の回収になります、集団と個についてのエッセイです。要するに雑記です。

 

 

 個のプレイというのは集団へ影響を与えます

 それがチーム対戦ゲームです。

 

 

 そして問題となるのが個のプレイの快感集団への良い影響につながらないというケースがあるということです。

 

 

 個のプレイで快感を求め、良い成果を生み出したとしましょう。

  それは集団への良い影響となります。

 個のプレイで快感を求め、悪い成果を生み出したとしましょう。

  本人は楽しくても、集団へは悪い影響となります。

 

 

 そして、集団と個についての話です。

 人によってゲームの楽しみ方には種類があります。 

 

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 『個9:集団1』でゲームを楽しんでいる人がいたとしましょう。彼が個のプレイを快感を求め、悪い成果を集団へ与えてしまった。

 しかし、

 彼にとってはなにが悪いのかほとんどわからないのです。彼はただゲームを純粋に楽しんだだけ。負けたとしても、彼にとっては個の追求のほうが優先なのです。

 

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 『個1:集団9』でゲームを楽しんでいる人たちがいたとしましょう。彼は個のプレイに快感を求めません。なのでこういう発言をしてしまいます。

「君、犠牲になってよ。チームのために。そしたらチームが勝てるから」

 

 もし言われた人が『個7:集団3』の人だったら?

 

 しかし、 

 彼にとってはなにが悪いのかほとんど分かりません。彼にとっては集団での楽しみが最優先であり、個人が個の追求をしているとはまったく考えていないのです。

 

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 もし言われた人が『個1:集団1:ゲームへの愛:8』だったら? これはエンジョイ勢の話です。

 

 集団へ重きを置いている人たちが、ゲームをプレイしているだけで楽しい人物を理解できません。逆もまたしかり。

「なんで集団を考えて○○しないんだ?」

「ゲームが好きでやってるだけなんだけど…。そんな言われるほどかな」

 

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 集団と個、そのしがらみすらもない人たち。

 

 個が楽しければ集団が楽しいわけはなく。

 集団が楽しければ個が楽しいわけでもない。

 そして、ゲームが好きなだけの人もいるのです。個があろうとなかろうと、集団があろうとなかろうと、気にしていない人もいるのです。

 

 

 

 自分はわりと大義名分という名の暴力――――つまり「集団を重んじないってマジすか」をすることが多いので、自分と他人への理解のためにこの記事を書きました。もう少し、自分にとって理解しづらい人たちへ優しくしたいです、はい。